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自分たちを見失わずに、危機感や孤独、不安感と向き合う
齋藤 夢果(地域コミュニティ:静岡2.0)

プログラム名:レジリエンス思考養成プログラム 入門編 2023
開催日:2023.09.07-2023.09.21


齋藤 夢果(地域コミュニティ:静岡2.0)

自分の中でレジリエンスがとても慣れ親しんだ言葉になっていることを感じました。今ではどんなことにも根っこに持っていたいと思うくらい自分の中でしっくりくる大切な考え方になっています。その中でこの講座に参加し、自分が何を求めてレジリエンスを学ぶのか改めて考える機会になりました。常に変化し続け、予測もできない中を生きているからこそ、背けたくなることも多くあるけど自分たちを見失わずに、枯らさずに危機感や孤独、不安感と向き合う力がレジリエンスだと信じているから学びたいんだと思います。自分はとても感覚的な人間で、そんな自分がもっと周りの人と繋がり巻き込んでいくためにこういった体系的な学びが必要だと感じました。

対話の場で、自分も相手も今ここにあるものだけが全てではないことをどれだけ分かっているかはとても大切な事だと感じました。周りが共感・支援できることには限りがあり、最終的には本人の気づきと内省が自身の変化を生むんだろうなと感じています。相手と重なり合っていない部分があるからこそ、大切にしたい気持ちや自分の輪郭を理解できるような対話が生まれると感じています。心の底でどうせ分かってくれないだろう、という透明な壁を作ってしまう時や、「進める」ことが必要な場面でこそ勇気をもって立ち止まる・立ち戻る・その時間の大切さをどのように分かち持つのかが重要と感じます。「分からないだろう」という諦めの周りにはスキマがあると感じています。そこにファシリテーションの力や2.0ような場が作用するんじゃないか、そこに触れようとすることが繋がりの質を高めるということでもあるのかなと今は感じています。

今回の講座の中で自然の捉え方も自分の中で変化がありました。「自分たちは自然を支配しているのではなく、自然の一部と考えること」という藤田さんのお話を聞いて救われるような感覚になりました。最近まで自然を守ろう、という呼びかけを深く理解せず良いことだと考えていました。この講座やダイアログは、その視点があまりにも人を中心に置きすぎていると感じる機会になりました。誰のための環境かを考えた時に、言葉にはならないくらい無意識に、人(だけ)がより良く生きるため、になっているような。植物や動物と話し合うことはできないし、どうしてほしいかを言葉では受け取れないけど、その聞こえない声に耳を澄ますそうとすることや、人ではないものの生き方から学ぶことが自分たちも豊かにしてくれるのではないかと感じました。植物が人間よりもずっと前から地球で生きてきたことや、奪い合うのではなく必要なものを必要な分だけ受けて与えあって生きること、自己治癒力、その土地への適応力は「人と植物は違う」という視点だけで見てしまうと知恵とは受け取れず、私たちと自然との間に壁を作るように感じました。ウェルビーイングを考えたときにも、良く在る、対象は人単体に焦点を当てるのではなく、社会や自然までを地続きに含むということが今を見つめられている状態なんだと感じます。屋久島に行ってみたい気持ちや自然ともっと近づきたい気持ちが高まっています。

また、内にあるものの捉え方を更新することが今の自分に必要とも感じています。分かり合えないから遠いのではなく、自分の内にあるものに関係性を問いかけることができるか。関係性を問いかけることが、自分事にするための最初の一歩になるのではと感じています。自分の内で感じていることが、目の前に広がっていることの違和感や欠けているものに気づかせてくれる。そういったときに自分の内に答えがあることを実感するし、レジリエンスが備わっていることを感じます。もっと自分の内にあるもの、相手の内にあるものを信じたいという気持ちも今回の講座の中で感じました。講座が終わってから、まだ、こういうことかな?と感じている部分も沢山あり言葉にできていない部分も多いですが、レジリエンス・マトリックスなどにも改めて触れ、ここからはどう具体的にし、実践していくかだと感じています。これからもレジリエンスを自分の周りの人を巻き込みながら学んでいきたいです。